会社員→フリーランスをしていた私が、会社を興した理由

こんにちは。山下です。

前回、Prossistという会社を起業しました、と書いたのですが、今日は、会社員を辞めフリーランスをしていた中で、なぜ会社を興したのか、振り返ってみたいと思います。

その前に・・・元来、非常に引っ込み思案なので、SNSは見る専で、自分のことについて語るのは非常にぞわぞわしておりまして、固い文体であることお許しください。また、病気になったことや子どもがお受験したことなど、一見関わりのなさそうな出来事が、私にとっては起業の入口だったので暗くかつ長くなってしまいますが、お付き合いいただけたら嬉しいです。

目次

病気になって意識した「命のリミット」とお受験への決意

私は大学卒業後、株式会社リクルートに入社して以降、16年間在籍していました。

最初は広告営業でスタートし、その後は長く女性をターゲットとしたサービスの企画職をしていました。

その過程で、子どもを2人授かったのですが、同じ頃に骨の病気にかかり、3回入院・手術をしたことから、一気に命のリミットを感じるようになりました。(当時は、あまりの心配&健康意識の高まりで一気に7キロくらい痩せて、友人たちから「少年」と言われていたほどです。笑)

もし自分が先にいなくなってしまったとしても、子どもたちには一生を過ごせるような家族のような友人が作れたらよいなと思い一貫校を意識したことから、結果的に小学校受験を選択しています。

次女の幼稚園入園をきっかけに38歳でフリーランスへ

お受験は長女の小学校受験と次女の幼稚園受験というダブル受験、さらに、会社で管理職についていたので、「リアルに寝る間がない」というそれはそれは大変なものでした。

結果は奇跡的に合格をいただいたのですが、余白が全くない生活のやばさ(語彙力)や、「もっと二人と一緒にいたい」と病気の時に心から思ったので、会社員としてステップアップを目指すのではなく、38歳にしてフリーランスになりました。

当時はコロナ真っただ中のため世間がリモートワークを導入し始めていたのは追い風でした。娘を園まで送って、2~3時間オンラインで仕事してまたお迎えする。そして、二人が寝たらまた仕事をする、という生活を続けました。

フリーランスから起業へ 自分の中のもやもやに目をつぶることができなくなって

娘たちが小学生になり、そこそこ軌道にのりつつあったフリーランス生活。

ですが、当時は周り(特に夫w)が仕事で新しい経験を積んでいる姿を見て、焦りの気持ちもが募り・・・。そんな自分の姿はお世辞にも娘たちのこうなってほしい大人像とはかけ離れていたのでした。

ある時、尊敬している昔の上司たち&同期とのご飯で「自分はまだやり切ってなかった」というもやもやに目つぶれなくなってしまいました。もう一度自分の人生、見つめなおそうと思った瞬間です。

最後の決め手は、娘たちの後押し。

会社員を辞めてフリーランスになり、子どもといる時間は仕事をしないと決めた2年半。

娘たちは一緒にいれることを喜び、私もそのことに幸せに感じていたのは事実。

そんな背景もあって、二人は私の決断をどう感じるだろう、と思っていました。

「お母さんで仕事も頑張っている人が、長く働けるような会社を作りたいと思ってる。でもこれまでより仕事する時間も増えると思うんだけどどう思う?」と正直に話しました。

すると、

「ママがやりたいことを応援したいよ。」

「私たちも小学生になったから宿題の時間とかにも仕事できるんじゃない。」

と想像してなかった言葉を返されたのでした。

まだまだ小さい子たちなのに、そんな風に応援してくれたのは意外だったし本当に嬉しかったです。
そう言ってくれた子供たちの言葉に、改めて意志が固くなりました。

その頃、周りで中学受験などで能力ある方たちが仕事を去っていくのを見ていました。でもその人たちの能力が素晴らしいことを知っている。

子育てや介護などで一度キャリアが途切れてしまったとしても、働く環境を整えることでサポート出来たら、きっと彼らは力を発揮できるはず。

「女性が長く自分らしく働ける世の中を作りたい。」

「上手くいっても行かなくても、挑戦している姿を子どもたちに見せたい」

もう家で不満をたれている自分を子どもたちに見せるわけにはいかない、とそこで一気に起業することに決めたのでした。

そうして、女の子のお祭りの日、3月3日のひな祭りの日に株式会社Prossistは出来たのです。

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