自己紹介①(20~30代前半の私)
みなさん、はじめまして。Momoです。
今日ははじめての記事ということで、私の自己紹介をさせていただきます。
年齢は40歳、小3の息子と幼稚園年中の娘を持つ、ワーキングマザーです。
普段はITベンチャー企業で人事や採用の仕事を本業としてやりながら、副業で編集やライターの仕事をやっています。
このブログ、WorkingHahaの編集ディレクションも担当しています。
この記事では、新卒で最初の会社に入社してから今まで、私が「仕事」と「家庭」とどう向き合ってきたか、ご紹介できればと思っています。
私が新卒で最初の会社に入社したのは2005年でした。当時は雑誌の編集者になるのが夢で、大手出版社を中心に「編集職」を軸にして就職活動を行っていました。
内定をもらったのは「株式会社リクルート」。今でこそ大手IT企業というイメージですが、当時のリクルートはまだ情報企業という位置づけで、多くの情報誌(紙の雑誌)を刊行していました。その中でも「とらば~ゆ」や「ゼクシィ」など、女性の人生における岐路や大きな決断を後押しするようなメディアに携わりたいなと思い、入社を決めました。
最初の2年はベビー雑誌の広告営業を担当しました。営業の仕事もすごく楽しかったけど、編集者への夢を諦めきれず、社内異動制度を使って3年目に「ゼクシィ」の編集者になりました。ウェディングドレスの撮影や結婚式ノウハウを紹介する記事など、いろんな記事編集の仕事をすることができました。
そこから足かけ5年強、ゼクシィやゼクシィnetという媒体で記事編集、商品企画、CMプランニング、イベント企画など、あらゆる仕事を経験させてもらいました。とにかく自分のことだけを考えていればよかった20代、今思えばあんなに仕事に没頭できる環境は後にも先にもこの時代だけでした。
27歳で結婚をし、29歳でリクルートを退職しました。夫がアメリカの大学に留学することになったからです。当時は「20代でリクルートをやりきった!」という自負があったし、少し生活のスピードを緩めたい気持ちもありました。夫とふたりでNYに2年間滞在し、アメリカ中を旅行したり現地の友達と夜な夜な遊んだり、人生で一番キラキラした時間はまぎれもなくこの時だったと思います。
NY生活の終わりが迫ってきた頃、私は第一子を妊娠していました。少し帰国を早めて日本で長男を出産。この時私は31歳で、年齢的にもフェーズ的にも「あ、人生の第2章が始まった」と思ったのを今でも覚えています。
その後は専業主婦として育児をしていましたが、長男が1歳になるタイミングで復職を決意、リクルート時代の先輩に誘われて、昔自分が営業担当をしていたある会社に転職をしました。いわゆる「ワーキングマザー」として、仕事と育児の両立が始まりました。
どんなに仕事が忙しくても、17時になったらタイムカードを切って保育園へ迎えに行く。これまで無限に仕事に時間を割いていた昔の働き方と比べるとかなり効率性を強いられる生活でしたが、それでもやっぱり仕事は楽しかったし、久しぶりに社会復帰できたことで、新しい自分の一面を発見することにもつながりました。
そしてこの頃は何より、自分の母が育児のサポートを買って出てくれたことで、精神的にも肉体的にも助かっていました。母のサポートのおかげで1歳の息子を預けて1週間のフランス出張に行くことも叶いました。
母は結婚してからずっと専業主婦でしたが、私が働くことを新卒当初からずっと応援してくれていたし、ママになっても働くという選択をしたときも、とても応援してくれていました。
息子と私と母(そして時々、夫←基本激務のため平日は戦力外)がワンチームとなって日々を乗り越えていくような生活でした。
息子が2歳半になった頃、母が病で倒れました。
たまたま前日の仕事が遅くなったこともあり、私と息子は実家に泊まっていました。なんとか家族が連携をし、生死の境をさまよった母は生き続けることができました。が、母の体は「要介護」となりました。
私は当時勤めていた会社から3ヵ月の介護休暇をもらいましたが、3ヵ月経っても母の容態が良くなることはなく、「毎日誰かが病院で付き添わなければいけない」ということもあり、仕事をやめ、会社を退職することを余儀なくされました。
もちろんこの時は母のことが第一だったし、仕事を辞めることに何のためらいもなかったのですが、リクルートを退職したときとは正反対の、「自分の意思とは全く違う、それでも辞めなければいけない事情」で退職をすることになり、「これから私も、母も、家族も、どうなってしまうんだろう」と呆然とした気持ちになったことは覚えています。
今思えば、この時が私の人生の第3章のはじまり、同世代の他の人よりだいぶ早い「ケアラー(介護をする人)」としてのデビューでした。